仏教とマインドフルネス

仏教とマインドフルネス

マインドフルネスストレス低減法(MBSR) は、マインドフルネスを通じてストレスを低減しようとするプログラムです。この「マインドフルネス」は、もともと仏教の考え方がもとになっていて、「今、ここ」に意識を集中することを意味しています。

ところが、マインドフルネスストレス低減法のプログラムでは、宗教的な要素が排除されていて、仏像を礼拝したり、お経を読んだり、教義を学ぶといったことは一切ありません。どのような宗教を持つ人でも、宗教を持たない人でも、安心して参加できます。

ここでは、マインドフルネスストレス低減法のもととなる仏教の考え方とは何か、それから、仏教とマインドフルネスの違いについて説明します。

仏教のもととなる考え方とは

マインドフルネスストレス低減法のプログラムに参加するにあたって、仏教の考え方を学ぶ必要はありませんが、ここでは、MBSR講師トレーニングで学ぶことをもとに、仏教のもとの考え方とは何か、これが現代科学でどのように解釈できるか、それから、マインドフルネスストレス低減法のコースで実践されるマインドフルネス瞑想とどのようにつながっているのか、説明しようと思います。

仏教の考え方といっても、仏教の長い歴史の中でさまざまな宗派が出てきて、宗派によって考え方は異なります。ここでは、ほとんどの仏教の宗派に共通する教えである、「この世に存在するものの3つの特徴」の項目に沿って、説明します。「この世に存在するものの3つの特徴」は、英語では、”Three Marks of Existence”といい、仏教用語では、「三相」といいます。

特徴1: すべての物事は、変化するということ (Impermanence: 無常)

自分の身体の感覚や心の状態を観察すると、常に細かく変化していることに気が付きます。これは自分の身体や心に限ったことではありません。例えば、天体や原子のように変化がないように見えるものでも、変化します。

すべての物事が変化するということは、ビッグバン理論(宇宙は何もないところから始まった)や、量子力学(すべての物は、粒子と波の性格を併せ持つ)、素粒子物理学(真空であっても、素粒子が常に生滅している)などの現代科学とも整合性があると思います。

big-bang

宇宙の歴史はビッグバンで始まる

私たちは、自分自身について、あるいは、大切な人や社会との関係が今のままで変わらないでほしいという、実現不可能な欲求を持っていて、それがかなえられないときに、とても苦しい思いをします。たとえば、大切な人と別れたり、年をとったり、病気をしたり、死んだりするときがそうです。

「今、ここ」に意識を向ける練習をすることによって、自分の身体や心を含めて、すべてものが変化することを理解し、それらの変化を受け入れることができるようになっていきます。

特徴2: 私たちはすべての物事に対して、不満足であるということ (Unsatisfactoriness: 苦)

ここでいう不満足とは、欲求が満たされていない不快な状態、たとえば、ドーナツを食べたいのにまだ食べていないとか、好きになった人に会いたいのに会えない、社会で認められたいのに認められていない、痛みが消えてほしいのに消えない、といったときの不満足な状態のことです。

これが怒りや悲しみといったネガティブな感情を引き起こし、人の苦しみの原因となります。

プリンストン大学のロバート・ライト博士によると、私たちが物事に不満足であることは、進化に由来するものだそうです。

長い進化の歴史の中で、人間を含めた生き物の脳の中に、次のような仕組みが出来上がったと、博士は考えます。

  1. 子孫を残すための活動目標を達成できたとき、あるいはできることが分かった時、満足を与える。
  2. この満足は長続きさせない。そして、次に優先度の高い活動目標を達成するまで不満足な状態にする。
  3. 「満足が長続きしない事実」には注意を向けさせない。目標達成時に満足が得られることに注意を集中させる。

これは、脳の報酬系と呼ばれる機能です。「子孫を残すための活動目標」は、「食べものを食べたい」とか、「異性とお近づきになりたい」という欲求という形で現れます。ご褒美となる「満足」は、脳内で分泌される「ドーパミン」という物質です。ドーパミンは、人間がいつまでも満足に浸って怠けないように、すぐに消えるようにできています。

つまり、私たちが欲求を満たしても、満足を得られるのはほんの一瞬で、すぐに次の欲求が起こって、それが達成されるまで、ずっと不満足な状態に戻ります。しかもその仕組みに気付きにくいようになっています。

carrot-and-stick

このように、もともと生き物は、ほとんどの時間を不満足で過ごすようにできていますが、人間の場合、さらに不利な状況に置かれています。

ロバート・ライト博士によると、人の欲求や感情は、我々が狩猟採取を行っていた時代の生活に合わせて進化したものなので、現代の生活と合わない部分があるそうです。

例えば、車の運転中に、ちょっとしたことで、怒りを爆発させる人がいます。少人数で狩猟採取生活を行っていた時代は、自分の地位が脅かされるようなことがあると、怒ってみせるのが子孫を残すために合理的だったのでしょう。ところが、今の時代、道路上で二度と会うことがない人に怒りを爆発させても、何も得になることはありません。かえって、そのような人は子孫を残しにくいはずです。

あるいは、狩猟採集生活をしていた時には、甘いものといえば果物ぐらいしかなかったので、甘いものを求めるのは合理的でした。現代では、不健康な甘いお菓子がいくらでも手に入ります。私たちの甘いものへの欲求は狩猟採取生活の時代のまま残っているので、身体に悪いとわかっていても、甘いお菓子を食べ過ぎてしまうことがあります。

このような例は、甘いもの他にも、飲酒、薬物、ポルノ、かけ事などが挙げられます。いずれも、狩猟採取生活の中では手に入りにくいものが、現代の生活で、別の形で簡単に手に入るようになったので、私達は依存症になる危険があります。

マインドフルネス瞑想を続けることで、自分の欲求を観察し、欲求にどのように対処すればよいか、意識して選ぶことができるようになります。

特徴3: 自分自身というものは幻想で、実は存在しないということ (Non-self: 無我)

透明人間

「自分が存在しない」というと、前の2つの特徴と比べて、内容が衝撃的で、理解しにくいことだと思います。すぐに「自分が存在しない」と言っているのは誰だ、という疑問が湧いてきます。

ロバート・ライト博士によると、この仏教の教えは、自分自身に意識があることを否定するものではなくて、

  • 意識が心や身体をコントロールしていないこと、それから、
  • 意識は一定のものではなくて、あやふやで常に変化していること

を示しているのだろう、とのことです。

ロバート・ライト博士によると、現代心理学によっても、このことは説明できるとのことです。

数々の心理学実験の結果から、人が何をするかは、意識の上で決断する前に決まっていることがわかっています。人の意識は、すでに決まったことについて、後付けで、外向けに都合がよく一貫しているように見える理由をつけているだけです。会社の広報室のような役割を担っています。

博士によると、このように後付けで理由をつける意識の役割は、狩猟採取生活の中で得られた特質です。

自分の意志で、明確な理由をもって、物事を決めたと信じる人の方が、子孫を残すのに有利だったためこのような機能が発達しました。

人の行動を決めているものが人の意識ではないとすると、いったい、何がどうやって人の行動を決めているのでしょうか? ロバート・ライト博士によると、心は、いくつかの部分(モジュール)に分かれていて、その時々で最も強いモジュールが人の行動を決めています。以下が心のなかのモジュールの例です。

  • 自分を守ろうとするモジュール
  • 異性の気を引こうとするモジュール
  • 異性を確保しようとするモジュール
  • 友達を見つけて確保しようとするモジュール
  • 近親者を助けようとするモジュール
  • 自分の社会的な地位を高めようとするモジュール
  • 病気を避けようとするモジュール

モジュール同志はお互いに競合したり重なり合ったりしており、どのような場面でどのモジュールが活性化されるかは、遺伝や器質、経験によって決まります。もっとも活性化されたモジュールが、その時の脳のリソースを確保して、行動を起こします。

このように考えると、自分の行動を決定している「自分自身」というの幻想で、存在しない、といえるのではないでしょうか?

また、ロバート・ライト博士によると、自分自身と外部を分けて考えることも、進化の結果得られた形質であるといいます。自分の皮膚の内側を外部と区別して、内側を守ろうとする個体の方が、そうでない個体よりも子孫を残しやすいからです。

マインドフルネス瞑想を実践していると、小鳥の声が自分の一部に思えたりすることがあります。また、自分が大自然の一部に思えることがあります。私たちは自分の皮膚を境界にして、内側だけが自分だと思っていますが、この境界はとてもあいまいなものです。皮膚の一部が剥がれたら、自分の一部とは言えなくなってしまいます。一方で、皮膚表面や腸内の常在細菌は、私たちを守ってくれているので、身体の一部に見えます。

皮膚の外側にあるものでも、食べ物、空気、重力、他の生き物、社会、宇宙といったものは、生きるうえで欠かせないものなので、ある意味、自分の一部です。あるいは、自分が宇宙の一部といってもよいでしょう。

こう考えると、「外部と区別された自分自身がある」、というのは幻想で、そのような自分自身は存在しない、と言えないでしょうか?

私たちは、孤独や悲しみ、怒りといったネガティブな感情や身体の痛みを、自分自身と結びつけることによって苦しみます。たとえば、「私は悲しい」と言ったり、「私の頭が痛い」と言ったりして、自分の不幸を嘆きます。

マインドフルネス瞑想でネガティブな感情や身体の痛みをありのままに観察すれば、やがて、このような感覚が自分自身と切り離された現象として、冷静に受け入れることができるようになっていきます。この過程を通じて、ストレスが低減されていきます。

また、マインドフルネス瞑想を通じて、自分の外側の世界や、他の生き物と一体であることを感じることができるようになっていきます。このこともストレスを低減します。

仏教とマインドフルネスの違い

マインドフルネスストレス低減法は、仏教の考え方を取り入れてはいますが、仏教とは全く別のものです。仏教とマインドフルネスストレス低減法(MBSR) の違いについて、自分の考えは次のとおりです。

目的の違い

仏教の最終的な目的は、この世の苦しみから逃れるために、欲望を捨てて、悟りを得ることです。

マインドフルネスストレス低減法(MBSR) の目的は、現代生活におけるストレスを低減することです。

手法の違い

仏教では、悟りを得るための方法として、一生かけて実践するべき8項目の徳目(八正道)を示しています。マインドフルネスはそのうちの一つです。

マインドフルネスストレス低減法では、8週間のカリキュラムが定められており、その中で様々なマインドフルネス瞑想をグループで学習することによって、ストレスへの対処法を学びます。

宗教と科学の違い

仏教は宗教です。開祖による教義や経典を学び、信じることに重きがおかれます。荘厳な雰囲気で、仏像への礼拝や読経などの伝統的な儀式が行われます。

マインドフルネスストレス低減法は科学です。その効果は、科学的な方法で検証されて、新たな知見があれば、カリキュラムの変更が随時行われます。どのような宗教観を持つ人でも参加できるように、宗教性は排除されて、カジュアルな雰囲気で実施されます。

どちらが良い、悪いということではないのですが、仏教とマインドフルネスストレス低減法では、宗教と科学という、異なるアプローチをとります。

まとめ

マインドフルネスストレス低減法(MBSR) のプログラムでは、宗教性が排除されて、どのような宗教の方でも参加できるようにカリキュラムが組まれています。仏教の教義を学んだり、仏像を礼拝したりといったことは、ありません。

しかし、そのプログラムで採用されているマインドフルネス瞑想は、仏教の基本的な考え方がもとになっています。

その仏教の考え方をよく示している「この世の物事の3つの特徴 (Three Marks of Existence: 三相)」は、現代科学でも説明可能なものです。


出典:

  • Wright, Robert. 2017 Why Buddhism Is True. Simon & Schuster.