「犀の角たち」

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この「犀の角たち」1)犀の角たち 佐々木閑著は、仏教と科学は似ている、ということを思索する、仏教学者の佐々木閑氏による書籍です。

全編がユーモアに満ちていて読みやすく、特に量子力学の二重スリット実験の部分はとても面白かったです。

何年か前に読んだ本ですが、マインドフルネスの元になる仏教の考え方と科学がどのような関連があるのかが気になって、もう一度読んでみました。以下、自分の理解と感想です。

科学の視点

著者の佐々木氏によると、まず、西洋で発達した科学は、もともと神の視点に立って、神が創造した美しい世界を表現しようとしたものでしたが、現象世界の観察結果をいやいや受け入れていく過程で、神の存在を前提としないように視点が変化していったといいます。

物理学

例えば、物理学の世界では、17世紀にニュートンが物体の運動の法則を美しい数式で表現し、ニュートン力学を確立しました。ニュートンは「引力は神の御業によるもの」と考え、引力がどのように伝わるのかは考える必要がないと思っていました。神の視点に立っていたわけです。

アイザック・ニュートン

ところが、時代が下って、人間の視点からものを考えるようになると、人の目に見える光についての研究を突破口にパラダイム・シフトが起こります。20世紀はじめ、アインシュタインが相対性理論を発表し、引力は時空のゆがみによるものであることを明らかにしました。

アルバート・アインシュタイン

さらに、ミクロの現象世界を観察すると、人間の理解を超えた不思議なことが起こっていることがわかりました。

  • すべての物は粒子と波の両方の性質を持つこと。
  • 物質が粒子として存在しているかどうかは、確率でしか表現できないこと。
  • 波は観察者がいる場合に限って粒子として収束する。つまり、観察者の有無によって実験結果が異なること。

この物理学の分野を量子力学といいます。「これでは因果律が壊れてしまう」と反対する学者もいましたが、実験の結果はすべて、量子力学が正しいことを示しました。

因果律を保ったままこの現象を理解する方法として、粒子の収束が起こる確率ごとに宇宙が分岐しているという「多世界解釈」という考え方があるそうです。

進化論

生物学の分野では、もともと、「神が人間を含めすべての生き物を造られた」という創造説が有力でした。ところが、19世紀にダーウィンが進化論を発表し、神がいなくても、突然変異と自然淘汰によって生命は進化することを示しました。

チャールズ・ダーウィン

数学

数学についても、もともと自然数のみによる美しい神の法則を表現したものでしたが、さまざまな事情で、無理数や虚数といった、人間には理解できない、美しくない数を受け入れざるを得なくなっていきます。

仏教の視点

佐々木氏は、仏教が始まって間もない頃の「初期仏教」について、古い仏教経典などの研究から、次の3点の特徴があると説きます。

  • 超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する。
  • 努力の領域を、肉体ではなく精神に限定する。
  • 修行のシステムとして、出家者による集団生活を取り、一般社会のあまりものをもらうことによって生計を立てる。

このうち、特に最初の「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」という点に注目します。

例えば、初期仏教から続く仏教の基本的な考え方に、現象世界を説明する「三相(無常、苦、無我)」がありますが2)仏教とマインドフルネス、この中に神とか仏といった超越者は出てきません。

これは、他の一般的な宗教と比較してみると、とても珍しい特徴です。

キリスト教やイスラム教、神道など、一般的な宗教では、「神のような超越者が世界を作り、人間を作った」としています。また、「超越者は人間を救済することがある」としています。

仏教も、時代が下ると多神教の影響を受け、阿弥陀、薬師、大日、観音といった「架空の超越者」を想定する一般的な宗教に変容します。これを大乗仏教といいます。

佐々木氏によると、日本に伝わった仏教は大乗仏教であり、いずれの流派も架空の超越者の存在を想定しています。その一方で、現代のスリランカやミャンマーに伝えられた「上座仏教(テーラワーダ仏教)」には、初期仏教の形が残っているそうです。

ただし、佐々木氏は、最後にわざわざ一章を割いて、「初期仏教と大乗仏教の優劣はつけられない」としています。大乗仏教によって救われる人もたくさんいるからです。

科学と仏教の類似点

科学と初期仏教の類似点は、「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」ということです。

西洋で発達した科学は、もともと神の存在とその視点を前提としていました。つまり超越者の存在を前提としていましたが、不都合な現実を受け入れていくうちに、神の存在を前提としないで、観察結果を説明するようになりました。

初期仏教では、仏教の開祖である釈尊が、「今、ここ」で起こっていることをありのままに観察する瞑想により、いきなり、超越者の存在を前提としない現象世界の法則性を発見しました。

初期仏教は、現在では、スリランカやミャンマーで行われている上座仏教(テーラワーダ仏教)に受け継がれています。

感想

この書籍を読んで、以下のような感想を持ちました。

マインドフルネスの元になる考え方について

マインドフルネスの実践法や考え方は、もともと上座仏教(テーラワーダ仏教)に由来しています。そこには、科学的なアプローチとの類似性があると感じました。

マインドフルネスの実践では、「今、ここ」で起こっていること、心の中の思考や感情、身体の感覚、五感から感じるものを瞑想の対象とします。神様や仏様といった想像上のものを心の中で思い描いたりしません。「超越者の存在」を前提としないところが、科学的なアプローチだと思いました。

また、「無常、苦、無我」といった初期仏教で説かれる現象世界の法則は、仏教の創始者が瞑想の結果、発見したものですが、現代の科学でも説明可能だと思います。3)仏教とマインドフルネス

マインドフルネスの考え方が、仏教を元にしていながらも世界中に広まっているのは、初期仏教には科学との類似性があり、真理が含まれているからだと思いました。

実験による検証が必要

その一方で、佐々木氏が指摘しているように、初期仏教も、「開祖が説いたことを信じる」という点がやはり宗教です。

現代人が安心してマインドフルネス瞑想の実践に取り組むためには、現代の科学で取り入れられているような実証的な方法で効果を検証する必要があると思います。

例えば、次のような項目について、実験とか臨床試験を通じて明らかにするべきです。

  • 瞑想を実践した人のうち、どれだけの人がストレスを軽減できたのか?
  • どれだけの時間、瞑想をすれば効果が出るのか?
  • どのような症状の人に対して、効果があるか?

現在さまざまなマインドフルネス瞑想の実践プログラムがありますが、その中でもマインドフルネスストレス低減法 (MBSR)は、数々の臨床試験でその有効性が確かめれれています。

もしかすると、マインドフルネスストレス低減法を始めとする現代のマインドフルネスの潮流は、現代に現れた仏教の一つの流派と考えることができるかもしれません。

また、マインドフルネスの実践が科学的に検証されるにつれて、仏教と科学が融合し、心のトレーニングの実践方法として広がっていくのではないか、と期待しています。

初期仏教は宗教だったか?

「開祖が説いたことを信じる」という点では、初期仏教も宗教だと先に書きました。つまり、現代科学で行われているようには、信じるに足る証拠を示していないということです。

実はこの点で、本当にそう言えるのか、疑問も感じています。

私は、残念ながら、相対性理論や量子力学を正しく理解していません。正しく理解するには、学術論文が理解できるようになるまで、何年も勉強しないといけないでしょうし、その論文が正しいのかどうか、実験で検証しないと納得できないかもしれません。

同じように、初期仏教で説かれた現象世界の真理も、私は正しく理解していません。これを理解するためには、初期仏教で説かれた修行法を実践する必要があるでしょう。その中心となるのは、「今、ここ」で起こっていることに気がつく、マインドフルネス瞑想です。

「今、ここ」で起こっていることは、自分にとって最も確かな現実です。アインシュタインの論文とか、物理学の実験の結果などよりも、よほど確かなことでしょう。

こう考えると、「初期仏教の方が、現代科学よりも、より確かな証拠を示している」と言えるのではないか、と思います。

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