「歩く瞑想」は基本的に部屋の中で
「歩く瞑想」は、「今、ここ」に意識を向けるマインドフルネス瞑想の実践方法の一つです。
「歩く瞑想」は、「座る瞑想」と比べると、マインドフルネスの実践という観点で、次のような利点があると思います。
- 動いている身体の感覚、特に足の裏の感覚を瞑想の対象にするので、感覚がわかりやすい。
- 心がさまよいだして何かの思考や感情にとらわれてしまった時、その場で立ち止まって、その思考や感情が消えてなくなるのを待つことができる。
足の裏の感覚を感じるためには、できるだけゆっくりと足を動かしたいです。また、しばしば思考や感情を観察するために、目をつむってその場で立ち止まります。
このようなゆっくりとした「歩く瞑想」は、他の人から見ると奇異に見えるでしょうから、私は基本的に、部屋の中で実践しています。
屋外で「歩く瞑想」は難しい
歩く瞑想は、基本的に屋内で行うとして、屋外で普通に歩く時に「歩く瞑想」ができないものでしょうか?
何年か前に通勤したり散歩したりする時に「歩く瞑想」ができないか、試したことがありますが、その時は、結局できませんでした。
街や公園はいろいろな刺激が多すぎて、歩く瞑想を始めても、すぐに思考や感情にとらわれてしまうのです。
例えば、こんな感じです。
- 足裏の感覚を観察しながら、歩き始める。
- ラベンダーの花が咲いているのが見える。
- 以前、ラベンダーの花に蜂が集まっていたことを思い出す。
- ディズニーランドのスプラッシュマウンテンで滑り落ちる前に蜂の「ブーン」という羽音が聞こえて、娘が「蜂、蜂・・」と言って泣き出したことを思い出す。
- 「なぜ、娘は蜂に刺されたことがないのに、蜂を怖がったのだろう、もしかしたら、遺伝子に組み込まれているのだろうか?」と考える。
- いつの間にか、思考にとらえられていたことを思い出す。
- もう一度、足裏の感覚を観察し始める。
- 前から人が歩いてくるのが見える。
- 「この人は誰かに似ているな」と思う。
- 「もう亡くなった俳優だが名前が出てこない」と思う。
- その人が出ていた映画の場面はないか、と考える。
- 「丹波哲郎だ!」と思い出す。
歩いている間に目に入るもの、耳に聞こえるもの、匂い、風の感触など、いろいろなものがあらゆる思考と感情を呼び起こし、そこから思考の連鎖が起こります。
こういう事情で、屋外で「歩く瞑想」をするのは諦めていました。
歩く行為は、「今、ここ」に意識を向けるマインドフルネス瞑想よりも、むしろデフォルトモードネットワークを活性化さえて、思索にふけるのに向いています。
どんどん移り変わっていく景色、音、風、匂いなどの刺激が、過去の記憶を思い出させたり、新しいアイデアを思いつかせたり、今考えていることを発展させたりしてくれます。
日本の哲学者、西田幾多郎が思索をめぐらした京都の小径は「哲学の道」と呼ばれています。古代ギリシアのアリストテレスが起こした学派は、歩きながら哲学を語ったので、「逍遥学派」と呼ばれています。

再び外で「歩く瞑想」に挑戦
最近、新型ウィルスの影響でジムが閉鎖され水泳ができなくなったこと、それから、膝の不調でランニングができなくなったことから、長時間、歩いて運動するようになりました。
そうすると、次のようにすると、街の中でも、「歩く瞑想」が続くことを発見しました。
- 強い決意:次の角までは、「歩く瞑想」をすると強い決意を持つ。
- 実況中継:特定の感覚に意識を集中するのではなく、自分が感じるものすべて、特に思考や感情を観察の対象にする。心の中で「実況中継」していく。
テーラワーダ仏教の老師、スマナサーラ師がマインドフルネスの実践方法として、「実況中継」することをおっしゃっていたことを思い出します。
実際にやってみると、こんな感じです。
- 歩いていると風が気持ちいい。(と感じた。)
- 鳥の鳴き声が聞こえる。(と認識した。)
- 雨上がりの芝生の緑がきれいだ。(と感じた。)
- 誰がこの芝生を管理しているのだろう。
- きっと、市が業者に委託しているのだろう。
- どれだけ、税金が使われているのだろうか? 無駄遣いされてなければよいのだが。
- 「実況中継」していないことに気がつく。残念な気持ち。(を認識した。)
- 涼しい風が気持ちいい。(と感じた。)
途中で、何回も「実況中継」は中断してしまいますが、そのことに気がついたら、もう一度、実況中継を始めます。
五感で感じたことだけでなく、心の中の動きも実況中継してみます。
こうすると自分の思考や感情のプロセスがわかって面白いです。外部の視覚や聴覚などの五感による刺激が、思考の原因となります。例えば、その時に目にはいったもの、色、匂い、音などが、特定の考えを浮かび上がらせます。
その時に考えていたことが、次の思考に連鎖したり、新しい思考を浮かび上がらせたりすることもあります。
思考には特定の感情がくっついていて、その感情が強いほど、次の思考に連鎖しやすく、また、その思考にとらわれやすくなります。
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